神バンド達の藤岡幹大を送る言葉




4: 2018/01/11(木) 01:24:37.01

藤岡さん – TAKAYOSHI OHMURA OFFICIAL SITE
https://takayoshi-ohmura.jp/blog/%E8%A4%E5%B2%A1%E3%95%E3%93/

藤岡さん

去年12月30日に連絡があって以来、僕の頭の中には藤岡さんしかいません。
今も僕が起きている時はケタケタ笑って、僕が寝ようとしたらギターを弾きだします。
いつかのツアー中でもそんな事がありましたね。
小「むらっちー、寝てるー?」
大「ん、、、何ですか?」
小「わて、たばこ吸ってくるわー(バタンッ!!)」
小「(バタンッ!!)むらっち、寝てる?」
大「見りゃわかるでしょ!」
小「わて、ギター弾きたい(ジャンジャカ!!)」
大「んもぉー、じゃあ僕も一緒に弾きますわ」
小「わてのチューニング違うなー、クシシシシッ!」
小「わて、たばこ吸ってくるわー(バタンッ!!)」
もう勝手にしてくれと何度も思ってきましたが、今もされるとは思いませんでした。
その他にも「たばこクズ」とか「ビールクズ」とか散々失礼な事を僕は言ってきましたが、
昨日、人生で初めてたばこを買いましたよ。藤岡さんの好きだった銘柄。
藤岡さんがBOHさんにやってきたように僕も数本抜き取りました。
藤岡さんが(匂いにつられて)戻ってきやすいように僕のギターに貼っておきますからね。
お酒を完全に断ってから7年ぶりにあなたのビールをペロッと頂きましたよ。
こんなうまいものをいつも隣で飲みやがって、と思いました。ご馳走様でした。
藤岡さんが(匂いにつられて)戻ってきやすいように、ビールを染み込ました
クロスでギターのフレットを磨こうと思いましたが、ESPの菅田さんに止められました。

5: 2018/01/11(木) 01:26:38.74
僕がMI大阪に入学して最初の先生が藤岡さんでした。
それから今までの16年間、藤岡さんほど四六時中ギターの事ばかり考え、
時間があればずっと練習し、音楽を知ろうとしていた方は他に知りません。
大「藤岡さーん、僕、あの曲のあのフレーズ半音で間違えちゃいましたよー」
小「そんなもんあるあるー、でも半音やったらスケール内に収まってるんやない?」
大「いや、逆の半音なんですよー」
小「他のスケールで考えられん事もないから、ちょっとそこの部分教えて」
大「ここの部分を半音なんですよー」
小「やったらこのスケールで解決出来るで、バレへんバレへん」
大「じゃあいいか」
棒「間違えをそのまま正すなや(笑)」
藤岡さんの音楽には悪い意味でのネガティヴは一切なかったと僕は思います。
御自身の演奏には厳しく(たまに甘い)、周りの演奏に対してはネガティヴを
ポジティヴに変えてしまう才能や優しさを持っていました。
僕は何度間違えを正して頂いたことか。
本当に感謝しています。今でもバレていません。
僕らは学校では小師匠と大弟子、最近では小神様と大神様なんて呼ばれていました。
今までは物理的に藤岡さんが僕を見上げる形でしたが、これからは誰よりも上から
見守ってくれますね。藤岡さんのお母さんも仰っていましたよ。
小母「幹大くんはねー、私に似て体はあーんなに小っちゃいのに、ステージに上がると
誰よりも大っきく見えるのよー。でね!誰よりもニコニコ笑顔で本ッ当に輝いてるの!」
大「それは一緒にステージに立った僕達も感じていましたよ。」
小母「そうでしょークシシシシッ」

 

6: 2018/01/11(木) 01:27:57.61
自分がどんな演奏やパフォーマンスをすれば藤岡さんと対等に戦えるか、
何を弾けば藤岡さんがこっちを向いて笑ってくれるかばかりステージ上で考えていました。
藤岡さんは共に戦った戦友であり、音をぶつけ合ったライバルでもある反面、
普段は御家族や2人の娘さんへ深い、深過ぎる愛情を持つパパの顔を見せてくれたり、
冗談を言っては「クシシシシッ」と子供のように笑う、そんな温かくお茶目な
姿をいつも近くで見れた僕は本当に本当に幸せ者です。
藤岡さんほど娘さん達と御自身の顔の違いを相手によく分からなくさせるほど
写真を見せる人はいないし、藤岡さんのような世界で一番信頼出来る相棒や
ギタリストは今後僕の人生でもう現れないでしょう。
去年の12月26日、最後のライブのステージで僕の曲に力の限りを尽くして頂きました。
これまであなたに何度助けて頂いたことか。何度笑顔にして頂いたことか。
通夜と告別式で、メンバーであるBOHさん、遊野氏、英樹ちゃん達と
どうすれば藤岡さんに喜んでもらえるか、今後の御家族のこと(金銭面や経済面でも)で
藤岡さんが不安を感じたり絶対に心配することのないよう、僕らに何が出来るかを話し合いました。
チャリティーイベント等の意見が出る中で、TOKIさんから「藤岡くんが出ていた作品や映像が
どのくらいあるか分からないけど、大村くんの作品からなら藤岡くんが出ている部分を再編集して
藤岡くんフィーチャーの作品を出す事は可能じゃない?」とアドバイスを頂き、メンバーとしては
すぐにでも動きたいという事や、以前からSTEALTHの件を僕がメンバーに伝えていた事もあって、
メンバーが出来ない部分に関しては全てTOKIさんに任せたい、TOKIさんがいつものように
「まとめて任せてくれ」と仰る前にメンバー総意でDVDの再編集をお願いしました。
ソッとイベントの方もまとめてお任せしました。藤岡さんとしても完全に安心出来ますね。
イベント内容に関しても話し合いは進んでいます。

 

7: 2018/01/11(木) 01:29:13.00
藤岡さんがいる人生、藤岡さんと共に歩む人生こそ、僕自身だけではなく藤岡さんの御家族、
そして娘さん達が幸せになれる、そして心配しいで気遣い屋さんの藤岡さんが笑顔で見守ってくれる、
それを心に強く刻み、僕や仲間が藤岡さんの意思や魂を受け継ぎ、藤岡さんが大切にしてきた全てを
全力で守り、約束を果たします。こういう事をするとすぐ藤岡さんは「むらっちゴメンなぁ」と言いそうですが、
「むらっちは誰よりもお金を持っている」と周りの関係者に言いまくってきた
あなたにだけは言われたくないので何も心配いりませんよ。
僕は僕でしっかりお仕事しますから。
これからも藤岡さんから教わる事、藤岡さんに感謝する時間や日は絶えないでしょう。
もう背中合わせで弾けないのはとても寂しいけど、
今は師匠を背中に感じギターを弾く事が出来ます。
またギターを弾きたくなったらいつでも起こして下さい。
いつでも弾けるよう綺麗にしてチューニングもしておきますからね。
「むらっちの曲、わし全部弾けるで!!」
その本物の愛が嬉しかったです。師弟コンビは永遠です。

 

8: 2018/01/11(木) 01:33:03.75

BOH「ありがとう藤岡先生」
https://gamp.ameblo.jp/bassist-boh/entry-12343390926.html?__twitter_impression=true
『BOHにゃんまた来年』

生前の藤岡先生が僕に交わした最後の言葉だ。

2017年12月30日、僕は実家がある北海道旭川市に帰省していた。

その日の夜、藤岡先生の奥さんから電話があった。

『幹大くんが高い所から落ちちゃって入院しました。意識はあります』

藤岡先生は音楽以外にも天気図とか、宇宙が大好きだ。

Twitterに写真をアップする以外にも、時々僕らに夜空や月の写真、

高層天気図から独自に解析した天気予報を送ってくれていた。

『BOHにゃん、今ここに気圧の谷があんねん』

『わかんねーよ(笑)』

そんな会話は日常茶飯事だった。

でも藤岡先生の天気予報は的中率が高い。

また僕へ夜空の写真と共に『今日の夜空。そして明日の天気は…』みたいに送ろうとしていたのだろう。

東京へ戻ったら見舞いに行かんとな…

2018年1月2日に東京へ戻った。

すぐに藤岡先生に会いに行こうと思ったが、ご家族以外の面会は出来ない様子。

仮BANDのアルバム制作をはじめ、その他のスケジュールもいっぱい詰まっているであろう。各所への連絡を含め、今後の予定を知るために藤岡先生のスケジュール帳を入手する必要がある。

1月5日

『容態が急変してたった今、幹大くんが亡くなりました』

奥さんからの電話に僕は動揺を隠せなかった。

悪い冗談だと思いたい。これは夢だと思いたい。テッテレー♪って看板を出して欲しい。

1月6日

近しい関係者を集めて緊急会議

その後、藤岡先生に会いに行った。

奥さん、娘さん、ご両親に囲まれて笑顔で眠っていた…

こんなに冷たい藤岡先生に触るのは初めてだった。

1月7日

お別れの準備をしなくてはならない。

1月8日、1月9日

お通夜 告別式

僕が初めて藤岡先生に会ったのは約4年前。

スタジオの中で譜面を見ながら難しい曲を弾いてた。

その時はこんなに親しくなるとは思っていなかった。

身長158cm、長い髪、可愛い見た目…でも声はおっさんだ。

藤岡先生はタバコが大好き。

少しでも時間が空けば、喫煙所へ行く。

自分のタバコが無くなると僕のタバコを勝手に吸う。最後の1本にも手を付ける。

『BOHにゃん、あとで返すから』

返ってきた事は1度もない。

酒に弱いくせに酒が好き。

身体が小さいのに僕と同じペースでガンガン飲むから、すぐに酔っ払う。

泥酔寸前の藤岡先生を介抱するのがたまらなく面倒だった。

酔うと自分の髪をクシャクシャにしながら僕の頭を延々とペチペチ叩く。

一度7割位の力でどついて黙らせた事があった。

ギターと音楽が大好き。

セッションやサポートの仕事以外にも、長く音楽学校の講師や教本などの執筆もしていた。ギターさえ弾ければどんな仕事も平気で受ける。

『わては、仕事は選ばん。他人からどう見られようと、何言われようとギターさえ弾ければええねん』

リハの休憩中や本番前もギターを離さない。

食事しながら左手はネックを抑えていることもよくあった。

スケジュールが詰まりまくっているのに、雑誌の執筆の仕事も無理やりねじ込む。

頼まれたら断れないのが藤岡幹大。

ツアー中もしばしば原稿を書いていた。

でも少し疲れるとビール飲んじゃうから効率が悪い。

周りの仲間が大好き。

『BOHにゃん、一緒に飲みに行こうや!』

そしてなぜかいつも僕が多めに払う事になる。

『今度なんかおごるから』

おごってもらった事は1度もない。

同じ事をまわりに何度も話す。たいして面白くもない会話を掘り下げようとする。

常に人と話していたいヤツなのだ。

『BOHにゃんは毒にも薬にもならん話をよくするなー』

言われる筋合いはない。

一緒に飯を食べ、一緒に飲みに行き、一緒に買い物し、一緒にトイレ…ガキか(笑)

なるべく一人でいたくないのが藤岡幹大。

他人の悪口も絶対に言わない。好かれたがりな一面もちらほら。

ただ、ツアー中は誰よりも大きく荷物を広げて散らかすし、物をよく無くすから周囲に迷惑をかける。

どこに置いたかわからなくなった携帯電話やライターを見つけてやるのが僕らの仕事。

家族が大好き。

お父さんとよく釣りに行った事。

お母さんが実家の八百屋で元気に働いている事。

むかし妹が超ヤンキーだった事などを度々話してくれた。

藤岡先生から子供時代の話で一番よく聞いたのは

『わてな、海行って勝手に牡蠣を取ってその場で腹一杯食べるのが好きやってん』

小さな密猟者である。

藤岡先生は賑やかな事も大好きで、それを表すかのようにご両親や叔父さんがとにかく明るく、喋りだしたら止まらない。葬儀中も皆んなを爆笑させていた。

そして何よりも奥さんと娘さんの事が大好き。

Twitterにもよく娘さんの写真をアップしていたが、それ以上に僕らに写真をたくさん見せてくれた。

LINEのグループで大切な事を話し会っている最中でも、娘さんや奥さんの写真を次々にアップしてくるから、文が読みづらくてたまらない。

藤岡先生と会うと1日に2〜3回は必ず

『うちの嫁がなー…』

『うちの娘がなー…』

という会話になる。

『先生、もし将来娘さんがミュージシャンの彼氏連れてきたらどうする?』と聞くと

『一緒にスタジオに入ってギターバトルや!ほんで譜面の初見対決して勝ったら認める』

という事を本気で話していた。勝てるわけがない。

藤岡先生とはたくさんの思い出がある。

短い間だったけど、それを埋め尽くすくらい濃密な時間を過ごせた。

僕が藤岡幹大の事を『先生』と呼んでいるのは、単にギターの講師をしていたからではなく、歩く音楽理論書と言っても過言ではないくらいの音楽知識を持っていたからだ。

それに、少し迷惑をかけられても『藤岡先生さー…』と切り出せばその後に続く会話は和やかになる。

人は時々考える『死』とは何か…

僕が思う本当の死は、皆んなに存在を忘れ去られた時だと思う。

僕は藤岡先生を死なせたくない。

この先も永遠に生き続けて欲しい。

いや、生きていてもらわなきゃダメだ!

藤岡先生の声、ギターの音色、たくさんの思い出は、僕ら皆んなの心の中に鮮明に記憶されている。

それを、これからもっともっと広めて行きたいのだ。

つい2週間前くらいに藤岡先生が僕に話した今後やりたがっていた事や、叶えたい目標、音楽への思い…それをしっかりと叶えなければならない。

僕ら仲間は藤岡先生の思いを背負ってこれからも音楽をやって行く。

これからも一緒にプレイし続ける。

でも藤岡先生、今は少しだけ休憩してて良いからね。

ありがとう。藤岡先生。

また一緒に飲もうな(B・o・H)

 

9: 2018/01/11(木) 01:47:08.18

Leda

ギタリスト、藤岡幹大さんが天国へ旅立ちました。

何度もステージを共にし、本当に沢山の事を教えてもらいました。
僕は演奏の事で悩んだり迷ったりした時、いつも藤岡さんに連絡をしていました。
面倒な質問ばかりする僕に、藤岡さんは毎回優しく丁寧に、
時には動画を添えて説明をしてくれました。
ギタープレイも人柄も、心から尊敬する人です。

もっと藤岡さんから学びたかった。
もっと一緒に音を奏でたかった。

何度考えても信じられませんし、辛い。胸が苦しい。

 

10: 2018/01/11(木) 01:54:14.31

でも葬儀の終わり頃に藤岡さんのお母様がこんな事を言っていました。
「幹大君は楽しい事が大好きな子やったから、どうか笑って見送ってあげてね。
私も今までと変わらず明るく楽しく毎日を過ごすよ。
それが幹大君が一番喜ぶ事だと思うから」と。

藤岡さんの事を思い出せば、いつも笑顔で楽しそうに演奏しています。
いつも笑っているんです。

だから僕も藤岡さんの想いを胸に、笑って毎日を生きたいと思います。

藤岡さん、本当にありがとう。
貴方に出会えて良かった。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

11: 2018/01/11(木) 01:58:45.99

前田遊野

亡骸に触れてからというもの、考えても、考えても、僕に言える言葉は見つかりません。

只一つ
先生、ありがとう。

 

12: 2018/01/11(木) 02:16:55.62

宇佐美秀文

これほど悲しいことはありません。
ギターを弾いている姿はいつも楽しそうで、幸せそうでした。
音を奏でる喜び、それを伝える喜びを知っている人。
ライブでご一緒した数々のステージ。
僕の曲にも素晴らしい音を頂きました。
ありがとう。 https://t.co/lq133AAW9m

— 宇佐美秀文 (@Hidefumi_Usami) 2018年1月9日

 

13: 2018/01/11(木) 02:41:23.57

ISAO

沢山の思い出と共に、前を向いて今日も精一杯ギターを弾いてきます! pic.twitter.com/oMMGvRi6iW

— ISAO (@Isao1229) 2018年1月10日

 

15: 2018/01/11(木) 05:10:34.59
青山英樹「感謝を込めて。」
https://ameblo.jp/everlast-hideki/entry-12343516379.html時間が経てば経つほど色々と考えてしまい言葉に出来ない思いでした。でも、それでは何も進まないし、藤岡さんやファンの皆さまを不安にさせてしまうだけと思い、自分らしく書いてみました。振り返ってみれば藤岡さんとはいつもお互いの娘の話で盛り上がり、音楽的な話をした記憶はあまりありません。(笑)2人でいた時は常に娘の写真を見せ合い、お互いの成長を楽しんでいました。海外ツアーでは朝食をよく2人で食べていたのを思い出します。

とにかく何でもサンドイッチにしたがる藤岡さんは自分のアゴが外れる位にトーストに具材を挟みまくり結果、中身を食べれず全部こぼしてしまったり。

紅茶が飲みたいと言ってティーバッグをコーヒーの中に入れてしまったり。

朝食後、「タバコ吸ってくるわー」と言ってテーブルにタバコ置いてったり。

「今度はタバコ持った!」と言った途端、バック忘れてたり。

朝から本当によく笑わせてくれました。

他にも、

プライベートで家族同士で食事に行った時、藤岡さんが長女に、

藤岡「ヒデキちゃんのお父さん有名な人だけど知ってる〜?」

長女「知らな〜い。だ〜れ〜?」

藤岡「青純。」

長女「……。」

お酒も入ってたのか、割と本気で聞いてる所に笑いが止まりませんでした。

家族とも共通点があり、僕と藤岡さんの奥さんが同じ誕生日で、

うちの妻と藤岡さん次女が同じ誕生日だったり。

何かすごく縁を感じていました。

車で一緒に帰ってる時も、娘と遊びに行った出来事や、今はこれにハマってるとか、嬉しそうに話していたのを思い出します。

同じ娘を、家族を持つ者として本当に悔しい気持ちでいっぱいです。

きっと藤岡さんも、残された家族や親族の心配をしていると思います。

そう思えば思うほどこれから先、自分たちに何が出来るのか?

藤岡さんが望んでいること、残された家族やファンの皆さんに自分たちが出来ることを考えて行かなくてはならないと思っております。

藤岡さん後は任せて下さいね!

別れの言葉は寂しいし言いたくないので…。

またステージや、朝食、お互いに良く行く三軒茶屋で会いましょうね!

それまで父とセッションでもして楽しんで下さ〜い。

20: 2018/01/11(木) 18:18:59.70
前田遊野
先生へ 先生と初めて逢ったのは、リハーサルの時でしたね。第一印象は「音楽学校の先生」といった感じでした。「リピートがひとっつも無いし、

めくるタイミングも無いからこんなんなってもうてん!」

って言ってB5サイズの譜面を横に3枚繋げたものを

ぐ~っと目を見開いて演奏していましたね。

顔を合わせる機会もぼちぼち増えて来た頃、

音楽学校の先生という僕の印象はすぐに変わる事となります。

先生のライフワークでよくやっていたセッションに参加した時

笑顔で弾きまくる先生を見て衝撃を受けました。

そこから先生と「セッションライブしましょう」となるまで

時間は掛かりませんでした。

それがキッカケとなり、仮BANDという少し変わったプロジェクトが生まれました。

先生のプレイと言えば変態が代名詞ですが、

凄まじい量の音楽知識や理論の上にそれが成り立っていますよね。

変態に見えて、実は物凄く理論的・理屈的なのが先生。

ついこの前も、メトロノームのアプリで

「BPMを上げていったら音程が上がる!!!」といって

子供の様にはしゃいでいたのを覚えています。

音自体は勿論の事「何故そうなるか」を解明する時の先生は本当にいつも楽しそう。

周りからしてみればどうでもいい事までそうやって楽しんでいましたね。

子供の様に。

そうした理論や理屈を捨てる時があるのを僕は知っていましたよ。

僕から見て、先生は決まり事を弾く時以外

即興演奏をしている時はいつも何かを待っている様子でしたね。

ブワーっと速弾きしまくった後やソロパートの導入部分。

ふと、斜め上の方を見上げて、あるいは遠くを見つめて

自分を開いて自分と何かを繋げる様にして音を奏で出す。
私はその瞬間がいつも大好きで

「あ、キタキタ」と思いながら

すぐ側でそれを誰よりも楽しみつつ、演奏していました。

そうした時の先生の音は誰とも比較出来ない、

唯一のものとして心に響くので、今も耳から離れません。

音は人です。

その人の性格、バックグラウンド、それら全てを現す鏡です。

先生はそれを音として体現出来うる、数少ない人でした。

それを知っていながら、先生に直接それを言った事は無かったですね。

言ってあげればよかった。

先生の目が見える内に、耳が聴こえる内に。

先生の奏でる音が大好きだと。

先生自身が大好きですと。

数日前に世界中の人々と共に、僕も改めて思い知りました。

先生をこれだけ愛している事。

「先生、ありがとう」

「先生が行きたかった場所、繋がりたかった所、僕も目指します」

冷たくなった先生の額に手を置いて僕が想った事。

それが叶えば、また先生に逢える気がします。

その場に先生が居たのか分からないけれど、伝わっていると嬉しいです。

仮BANDは続けます。

どんな形になるのかはまだ全く想像が付かないです。

ですが、それが先生の一番喜ぶ事だという事を僕は知っています。

先生の意志を継ぎます。

https://gamp.ameblo.jp/yuya-man/entry-12343662367.html

26: 2018/01/11(木) 21:01:15.38

目覚ましテレビ

 

28: 2018/01/12(金) 06:20:53.91
今更ジワジワ効いてきた
本当に居なくなったんだな
何というかすげえ悔しいわ

 

引用元:

http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/hrhm/1515597974/

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